写真と社会の葛藤の中で

路地の灯り
路地の灯り

皆さんこんにちは。成瀬です。
本日もFeel onにお越し下さり、ありがとうございます。

さて、前回までは学生時代について簡単にお話ししましたが、米国から帰ってからの社会人生活について、今日はお話しさせていただけたらと思います。私の話なんか退屈かもしれませんが、ご容赦ください。

数々の賞を受けて意気揚々と帰国した私は、写真で身を立てようと思っていました。とは言え、大学で2年ばかし学んだだけなので、私の写真が社会で通用するとは当然思っていませんでした。そこで、報道写真にするか商業写真にするかで悩みましたが、ロイター通信との話が決裂したのをきっかけに(1年間無償でインターンとして従事するというのは無理な条件でした!)、コマーシャルスタジオに入り技術を学ぶことにしました。南青山の自社スタジオ付き広告制作会社に入社した私は、まだ学生気分が残っていたのか、若かったためか、非常に残念ですが、入社初日からコマーシャル写真に相容れず、愕然としたのを覚えています。今にして思えば、あれで良かったのだとも思えますが、入社初日から悩み続けた私は、結局その会社を3ヶ月で退社することになりました。初めての就職だけに悩みもひとしおでしたが、仕事中虚しさに泣いて実家に電話して、辞めてもいいかと電話した日のことが忘れられません。私は、芸術写真を撮り続けることを決意し、商業写真からは身を引くことに決めたのです。

私は写真を始める前から、物を書くのが好きでした。中学の頃から自然と日記などを書き始め、高校に入った時には詩を書いていたのを覚えています。大学でも文学部を専攻しましたが、米国でのことなので、日本語の訓練になったというわけではありません。そこで、私はつてを頼って米国の通信社の日本支社で記者インターンをさせてもらうことになりました。それが私のライターとしての、そしてWebの世界への最初のステップとなりました。1年でインターンが終わってから、私は心に涌き上がる写真への情熱を抑えがたく、一度は諦めた広告スタジオを写真技術の習得のためと割り切って短期の就労で転々としながら、パリへ通っては作品を創る時期を過ごしましたが、それもその時期だけと決めていました。6回目のパリ滞在で1ヶ月の個展を開くことに成功した私は、これでパリも広告スタジオも十分、と思い、帰国してWebライター兼ディレクターになりました。それからは、ずっとWeb制作業界でキャリアを積んでいくことになります。

6回のパリ滞在期間中には、色んなことが起こりました。挫折も多く味わいましたが、希望に勇気づけられて活動に没頭もしました。再びキリスト教の啓示を受け、道に戻ろうとしたのもこの滞在期間中でした。次回から少し、このパリ滞在の話をいたしましょう。

それでは、寒暖の差が激しくなってきましたが、インフルエンザも流行っている折、どうぞご自愛ください。

不一
成瀬拝