キリスト教への道(1)

朝の情景01
朝の情景01

皆さん、おはようございます。成瀬です。
溶けきらない雪が路上に残る東京から、ご挨拶申し上げます。

先日の大雪以来、快晴が続いている東京ですが、明日22日はまた雨、もしくは雪の予報です。大雪はもう勘弁いただきたいのですが、果たしてどうでしょう。雨が残った雪を洗い流してくれるでしょうか。それとももっと雪が積もる?

さて、年も変わって暫く経ちましたが、お正月気分はもう記憶の中、になってしまったでしょうか。良い思い出として残ることをお祈りします。このブログは私の自由に、と許可をいただいておりますので、勝手ながら私個人のことを書かせていただきたく存じます。去年から入院している私ですが、この入院期間に随分と色んなことを考えて、いくつか実行に移したこともあります。そのひとつがこのブログでもありますが、見る人、読む人のための創作を始めたということです。そうすると、ものの見え方や感じ方が、大きく変わって参ります。これまでは、自分のためのみに創作し、個展や出版という形で発表してきました。数年前、それにも疲れを感じ、というよりも、その意味に疑問を感じ始め、しばらく活動を休止すると宣言しました。事実、それから数年は社会人としての自己確立のために費やしてきました。もともと通信社記者からスタートした私のキャリアですが、コマーシャルスタジオで短期に写真を勉強したり、パリへ渡って創作に時間を費やしたりした時期はあったものの、その後はまたライターに戻り、そこからWebのディレクター、プロデューサーと進んできました。これについて後悔はありませんが、今回の入院は、このキャリアとの決別も意味していました。長いこと悩みましたが、これ以外に方法がないと悟ったのです。これは正しい選択だったと、入院しながら徐々に感じ始めています。

そしてもうひとつ、入院中に決めて実行していること、それは今年から教会に再び通うということです。多感だった高校時代、私は父の転勤で福岡に移りました。だれも知っている人がいない地に移るのは初めてではありませんでしたが、高校で福岡に移ったこと、これは私の中に大きな変化を生みました。始めは無意識の中でしたが、その変化は私をキリスト教に向かわせました。異郷の地での孤独の中で、自分自身のために必要な糧を得たかったのでしょう。ふと目にした教会の佇まいが美しく、惹かれるものがあり、私はミサと日曜学校に通うようになりました。聖書を学び、キリスト教義を学び、私は夢中になりました。趣味でフロイドやユング、アードラーといった心理学の権威が残した論文を好んで読みつつ、聖書を片手に過ごしていました。あの当時には戻れませんが、心神改める思いで、また病院から私の所属教会、四谷の聖イグナチオ教会も近いので、この機会にと思い通い始めました。以来、心に少しゆとりが生まれ始めているように感じます。

結局、高校の時分はこうして通い始めたカソリック教会でではなく、プロテスタントの教会で洗礼を受けたのですが、そのいきさつについてはまた別の機会にお話ししましょう。こんな私事で皆さんを退屈させては申し訳ないので。

まだまだ寒い日が続きます。今日の写真は冬の朝の新橋です。病院からほど近く、情緒ある雰囲気が残っている新橋ではいくらかフィルムを使った本番撮影もできました。そのうちのサブカットの一枚です。新橋の風景写真がしばらく続くかもしれませんが、行動範囲が狭い身の上、ご勘弁ください。

それでは、皆さんの月曜日が平和なものでありますように。

不一
成瀬拝